毎年、会の写真が出来てくると「あー、終わった」と思います。
今日、先日の「あかつき会」の写真が出来てきました。
数日前に90歳を超えられた古いお弟子さんから、お手紙を頂きました。
この方は、日光出身で嫁ぎ先が西池袋でずっと父についてきた方です。
父が結婚前、勿論私の生まれる前の「あかつき会」のことを克明に覚えておられます。
私の忘備録として、ご本人の了解を得てここに一部分を書かせていただきます。
【第66回あかつき会も御盛況に終了し、改めておめでとうございます。長期間 御苦労様でした。
一区切りをお付けになりますとの御挨拶に涙があふれます。亡きご両親様も、あの世で「恵子!よく頑張りましたね!ありがとう」と拍手を送って下さっているでしょう。(中略)
私は大学卒業後の昭和24年第4回(宇都宮土建会館)から29年第10回(日光井桁屋)まで参加させていただきました。
和枝叔母さまが、ガリ版でわら半紙にプログラムを手作りしてくださいました。
27年の第8回金谷ホテルでの会は、賛助出演に東京から立派な先生方をお招きして、初めての正式の温習会でした。
お若いころの広瀬さん(杵屋佐之忠様)や宇都宮の三味線やさんにお世話になったことを覚えております。
お稽古場が椎名町になりまして、毎年多くの名取り披露で花輪が並び、益々ご盛会でした。
良き時代と共に「あかつき会」を永年休みなく続けられご奮闘は御見事でございましたー (後略)】
この方は東京での「あかつき会」にも出演され第50回のときは「島の千歳」を唄われました。
今もお元気でお一人で暮らしておられます。
私も知らなかった日光時代の父の「あかつき会」の様子が分かりました。
明日お弟子さんに写真を渡して、私の「第66回あかつき会」
が一区切りになります。